無個性

個性的、というカテゴライズによる無個性化

2020.7.26.

ペットショップで1年ちょっとバイトしてる。

色んな人が入ってきて、すぐ辞めて、気づいたら上から2番目になった。

 

何年も前に幼なじみが動物の専門学校に行って、資格をとって、就職して、心を病んですぐに辞めた。

わたしはそんなことないな、無のままでいられるな、と思っていたけど、今日気付いてしまった。無でいるのは防衛機制だ。悲しくない、傷付いてない、ゴールデンハムスターを蛇の檻の中に入れてきちんと蛇が食べているかどうか見ても何も思わない、そうじゃなくて、たぶん、悲しくない、傷付いていない、何も思わない、と意識的に思っているだけだ。どこかではすごく悲しい。

 

反動が来たらどうなるんだろうな。

2020.7.14.

霧雨、寒い、20度ない。半袖で出てきたわたしが馬鹿だった。

 

5月の下旬に下らない保険会社に就職が決まった。音楽に携わりたいと大口だけ叩いて、結局わたしは日本の音楽とか映像とかの業界の体質についていけない軟弱だから所詮無理な話だった。でも別に魂と命を削ってまで仕事に捧げられることが偉いとかすごいとか、そういう風には思わない。

 

こうして見事に夢を失ったわたしは、もう本格的に自分の人生を投げ出したいって思ってる気がする。

 

現実的なことが似合わないってよく言われるし、自分でもそう思う。お皿洗いとか、ゴミ出しとか、生活必需品の買い物とか、そういうことが似合わないし、そもそも苦手だ。村上春樹の小説の主人公っぽいのかなとか思ったけど、彼らって意外と地に足を着けた上での生活感のなさだから、ちょっと違うかもな。

彼には「生きてる感じがしない」「自分の人生を俯瞰してる感じ」って言われた。大方合ってると思う、わたしはたぶん今とか現実とかを見つめてそれと向き合って生きるのには、たぶん向いてない。

2020.5.30.

暑い、快晴。でもWeb学会で実験室に閉じこもってるから本当のところは分からない。もしかしたら今頃大雨かも。

 

眠いし疲れたしもう全部辞めたいって思う。もうこれ何回思ってるんだろう。

 

心が落ちていく感じ、最早心地よくすらある。

もうどうでもいいよって思うくせに死ぬ勇気もないし、かといって生きていく自信もない。

 

疲れた

さよなら

 

2020.5.7.

晴れ、肌寒い。連休の真ん中で夏みたいに気温が上がって、気付いたら冬みたいにまた寒くなって、今日はその中間。

 

久しぶりにちゃんと更新する。

実は別の場所でまたくだらない日記を新しくばら撒いている。だからこうして文を書くのはそこまで久しぶりではないけど、なんとなくこのプラットフォームはわたしにとって特別だから少し緊張する。

 

自分が書くものでも、文章は少しずつ変わっていくことを感じている。今よりも大学生だった時の方が、大学生だった頃よりも思春期だった時の方が、もっと美しい文をわたしは書いていた気がする。

このブログはもうだらだらと3年も更新し続けている。「いつかこの日々を思い出す手掛かりに」と思って最初は書き始めた。それが次第に君のための文章になり、君を離れて誰のためでもない文章になった。いつか誰かのためにまた日本語を羅列させたい。

 

就活なんてするつもりなかったけど、気付いたら茶番みたいな日本の就活市場に放り込まれてしまった。新卒絶対主義の日本で、何を間違ったのか既卒で就活をしている。あらゆる経験に挫折とそこからの立ち上がりを求める面接官と楽しくお話しする日々。意味のない過去に無理やり意味をつけて、自分で気持ち悪いと思う。

 

音楽に関わっていたいということだけわかってきた。そうじゃない仕事はどうでもいいから、適当に採用人数多い企業の内定だけもって、そこしか受からなかったらどうでもいい人生を歩み続けようと思う。もし音楽に関われたら、ちゃんと人生を生きていきたいな。

ごめんなさい、愛してます、ごめんなさい、ごめんなさい、それしか言えなくてごめんなさい。

会いたいです、ずっと大好きです、ごめんなさい。

本当は手紙を書きたい、ちゃんと話したいのだけど、いままで何もできなかった分際でそんなことは許されないでしょう。あまりに自分勝手だ。

弱くて、ずるくて、卑怯で、ごめんなさい。あなたのくれた愛に縋って生きてきたけど、ぜんぶ浪費だった気がするの。ごめんなさい。