無個性

個性的、というカテゴライズによる無個性化

昨今の部誌の記述について

世の中には分からないことがありすぎるけど、我々は最早会いたいと思って会える関係には居ない、ということはさすがに理解しているので、せめて写真を文字を見返してきちんと「実物の」あなたをいつまでもわたしの中に生かす努力だけはしています。

それでも声を時々忘れてしまうし、あなたは本当に存在したのか怪しんでしまう。だから部誌を漁ってあなたの文字を探すのが最近のわたしです。していることは前と同じなのだけど、そこにある意味はかなり変わりました。

 

 

会えないというのは分かっているけれど、呼べばきっといつでも来てくれるあなたはわたしを独りには絶対にしないといまも信じて毎日生きてるよ。

2017.9.12

雨のち曇り。蒸し暑い。夜は涼しい。

 

9月になってから全然日記を書いてなかったことに驚いた。もう東京に行ってから1週間も経ったのか。泉ヶ岳に行ったのはもう一昨日のことなのか。

 

少し前から調子が悪い。手首を切りたいと思ってしまうところから始まって死への衝動が強くなっている。でも知ってる。どうせもう死ねない。

 

毎日あなたのことを考えてるよ。ちゃんと返事するから、もしまだ見てるんなら、もう少し待ってて、だーりん。

隅田川 amazarashi


面映い思い出一つ 紐解く手が震えています
幸せとは つまり つまり あなたのことです
古い歌口ずさむたび それと見紛う面影を見る
さわれないなら いっそ いっそ 消えてください
日暮れて 連れあう街に蟬時雨
繋いだ手と手を離さなきゃよかった
僕を支えてくれていたのは いつだって
笑いあう喜びでした 許しあういたわりでした
見落としそうな程小さな 特別達でした
隅田川花火が咲いて
散るまでには会いに行きます
移ろう季節の真ん中で全てが綺麗だった

浴衣帯 盆提灯が照らしだす 朱色の影絵
心の中 ずっと ずっと 張り付いてます
変わらない町並みふきだした二人
変わっていたのは僕等だけですね

日々を鮮やかに変えていたのは いつだって
重ねあう優しさでした 言い合える絆でした
忘れてしまう程些細な 特別達でした
隅田川花火が咲いて
散るまでには会いに行きます
移ろう季節に留る事できないと知りながら

火影に群がる蟲として
僕はあなたに焦がれて
幼い強がりかなぐり捨てて
素直になれたらそれで良かったんだ
本当に欲しかったのは
そこにあった笑顏だけでした
それだけで僕はどこまでも
行ける気がしてたんだ
隅田川花火が咲いて
その真下で出会いと別れ
あなたがくれたその全てに
ありがとうって聞こえますか

 

 

(neruさんの「かなしみのなみにおぼれる」がamazarashiの「夏を待っていました」に似てるって騒ぎになった頃に知って、それを石本先輩が歌ってるのを聞いて惚れた。)

2017.8.31

晴れたり曇ったり。寒い。秋みたいな空気。

 

昨日は撮影してた。楽しかった。修羅場は得意だけど心にくるから嫌だね。

 

今日は何もしてないけどお給料入った。あと本を2冊買った。「西の魔女が死んだ」と「ティファニーで朝食を」。ティファニーで買い物をしたから、村上春樹が訳をしているから、という安直すぎる理由。

好きな人が好きな本と同じものを読めばきっと自分も近づけるって何処かで思ってる。馬鹿だね。

 

手紙が来た。相変わらず赤い封筒。釈然としない内容。いつもよりちょっと乱れた文字。「大人になれ」って部分だけやたらと刺さる。好きな音楽と映画と本が余白に書いてあった。返事は書くべきだろうか。