無個性

個性的、というカテゴライズによる無個性化

2017.8.11

むし暑い、晴れ。

 

9日に帰ってきて夜はそのまま水彩の合宿にお邪魔した。本当に純粋に楽しかった。あるべき場所ってちゃんとあるんだなと思う。

昨日はめぐに会った。彼女も少し前のわたしと同じような状況にいるらしいね、みんな通る道は同じか。彼女は好き、きっとずっと好き。

今日は祖父の家に行って掃除をしたり夏祭りに勇磨と顔を出したりした。彼の恋愛感情は嫌いだ、できれば持ち込まないでほしい。

 

 

ひどく安定している。このままでいたいようないたくないような。思うことは沢山ある。こうやって書くのもどうせ堕ちて忘れてしまうから。

2017.8.8/Nikon D80

高校生の時に父親に譲ってもらったNikon D80がついに壊れた。ストラップも付属のものは何となく嫌で、学校近くのヨドバシで可愛いのを買って付けてた。今思えば全然使いこなせなかった。

 

ss表示部にErrが出て、マニュアルにするとミラーが戻ってこなくなる。もう数年前にメーカーサポートも切れたような機種だし仕方ないか、という気持ちもある。

 

早く新しいカメラを探して買わなきゃという気持ちの方が強い。

ドライフラワーの恋

 

同年代の友人の恋が生花だとすれば、

わたしの恋はドライフラワーだ。

 

終わりが来る期限付きのものでも、例えそれが一瞬だったとしても、彼女らの花は目を欺くほど鮮やかで美しい。

わたしの花は決して目を惹くほどの色を持っていない代わりに、それに終わりは来ない。

 

前者は恋、後者は愛だとすれば

わたしは恋をしない?

永遠ならば必ず愛なのだろうか。終わりのある愛はあるのだろうか。

 

ドライフラワーもいつかは散る?

永遠も絶対もきっとどこにもない。