無個性

個性的、というカテゴライズによる無個性化

ドライフラワーの恋

 

同年代の友人の恋が生花だとすれば、

わたしの恋はドライフラワーだ。

 

終わりが来る期限付きのものでも、例えそれが一瞬だったとしても、彼女らの花は目を欺くほど鮮やかで美しい。

わたしの花は決して目を惹くほどの色を持っていない代わりに、それに終わりは来ない。

 

前者は恋、後者は愛だとすれば

わたしは恋をしない?

永遠ならば必ず愛なのだろうか。終わりのある愛はあるのだろうか。

 

ドライフラワーもいつかは散る?

永遠も絶対もきっとどこにもない。

2017.8.2

曇り、涼しい。

 

特に何も考えてない。お腹すいたなとか、口座あといくら残ってるっけとか、東京いつ行こうかなとか、そういう断片的で軽薄で救い難い思考しかない。

 

特別死にたいわけでもないしかと言って生きる気力が有り余ってるわけでもない。どちらかと言えばもう少しパワーをもらいたいくらい。

 

泣いても落ち込んでも解決できなくて、しかも割り切ることもできない後悔って最悪だなという感想。人生での後悔がみっつに増えてしまった。

でも後悔って随分と理想主義の上にある行為だ。あの時もっと勉強してれば良かったって嘆く人は本当に「あの時」に戻ったら勉強するんだろうか?遊ぶことを選択したのは自分なのに。

 

どうしようもできないのに割り切ることすらできないなんてわたしも堕ちたな。