無個性

個性的、というカテゴライズによる無個性化

2017.6.17

晴れ、暖かい。

 

夜更かしは向いてない。結局4時頃寝た気がする、10時過ぎに起きた。

 

相変わらずもう全部どうでもいいし感情も思考も自分から乖離していてよく分からない。笑ってるけど自分が嬉しいのかは分からない、でも負の感情はちゃんとリンクしてる。数秒後には本当にそう感じたのか分からなくなるけど。

 

どうすればちゃんと生きてることになるのか。なぜ誰も言ったことをきちんとできないのか。みんな無責任だ。

2017.6.13

曇り、相変わらず寒い。長袖パーカーを6月の真ん中にもなって着るような場所に来てしまったんだと1年経っても思う。

 

朝は眠かった、誰にも会いたくなかった、会ってしまった。USB返さなくちゃな、そろそろみんながいる時間帯に顔を出さなくちゃな。

 

最近時々話すようになった。何となく安心する気がする。いい声してるだけなのかな。

 

1人で静かな部屋で寝ていたい。もう目を覚ましたくない。誰にも会いたくない何も聞きたくない見たくない。叶わないから感性で生きてる。今日も光は美しい。

 

 

2017.6.12

曇り時々雨。寒い。20度を超えない。

 

疲れてるはずなのに眠れなくて、きっと1人で寝たせいだ。いつの間にか誰かと眠ることの方に慣れてしまっている。

 

急に呼んだのに来てくれた、何をしたのかと思い出そうとして特に何もしてないことに気づく。ただ歩いただけ。あなたに写真を撮ってもらう幸せ。

 

誰がここを見てても変わらない気持ちと変わらない文体で書き続けたい。隠して誤魔化すことは日常であった、それをしない方が難しくなっている。誰かに中を見せるのは怖い、他者の思考なんて読めない、感情なんて理解できない。

 

こうして段々自分の思考と感情にすらついていけなくなっていく、良くない兆候。今日は雨、もっと良くない。頭が痛い。

 

外集団に対する認知錯誤。外集団同質性知覚。何にでも名前を付けるんだなこの学問ってよく思う。この心の動きにもきっと名前があるんだろうな。

2017.6.10

晴れのち雨のち曇り、気温は知らない。

 

セクハラもパワハラも一々騒いでたら仕事なんてできない、という世界に自分がいることに気づいてしまったら終わり。

このどろどろに決着をつける日が決まっただけでも有難い。

 

もうすべて普通に見えるでしょ?

 

無表情すぎる世界に

無限のリフレクション

 

バイトがなくなって行き場に困った、彼は帰省してしまった、東京にもいけない。とりあえずフィルム買ったからそれで遊ぼう。

 

フィルムカメラっていいね、お金かかるけど。

 

デジイチも楽しいけど、あれはインスタントすぎる気がしてる。純粋な写真遊びというより答え合わせに近い気がする。この光なら露出はこうで、画角はこうで、こう。パシャ。よし、思い通り。てな感じ。

 

フィルムは純粋にフレーミングを楽しんでる感じがする。あの褪せた色が好き。

 

フレーミングなんて言葉を知ったのは誰のせいだろう。

2017.6.6

晴れ、涼しい。肌寒いくらい。

 

午前バイト、午後授業。90分は恐ろしく長い。

 

Twitterのアイコンを変えた

Limboの考察を読んだ

掏摸を数ページ進めた

彼に勧めた

まどマギの続編を期待した

荻野由佳のSNSを探した

Fさんのブログをチェックした

Twitterを更新した

 

もっと何かしたかもしれない。

 

特に何の用もない放課後は幸せだ。窓を開けっぱなしにして、音楽を聞きながらベッドで寝ていたい。そんなことは叶わないから街に出るけど。

 

午前中の太陽光が一番物を綺麗に照らす。窓越しに入るのは昼下がりの光が一番透き通ってる。真昼の太陽は駄目だ、光りすぎる。

 

わたしは映画には特に興味がない、美しい人と色と光に興味があるんだと昨日気づいた。